「寂聴訳 源氏物語 巻十」(紫式部/瀬戸内寂聴訳)

寂聴版源氏物語はなぜ注釈がないか?

「寂聴訳 源氏物語 巻十」
(紫式部/瀬戸内寂聴訳)講談社文庫

匂宮の激しい情熱的な愛情に
身を任せる浮舟だが、同時に
薫の献身的で穏やかな愛をも
拒みきれない。
その板挟みに悩んだ浮舟は
入水自殺を図る。
浮舟が行方不明となり、
宇治の山荘は混乱する。
薫と匂宮は
互いに相手の胸中を…。

寂聴版源氏物語も全十巻、
読み通しました。
五年前に初読、今回は再読です。
もっとも今回は
通して読んだのではなく、
原文を読み通す作業の参考とし、
細切れに読んだのですが。
その中で、改めて
寂聴源氏の良さを実感しました。
注釈がないことです。
私は読書の最中、
本文と注釈を行き来するのが嫌いです。
巻末に注釈を載せた本があります。
注釈を参照している間に、
せっかく物語の中に入り込んだ自分が、
瞬く間に現実に
帰ってきてしまったような
冷めた感覚を覚えてしまうのです。

寂聴版はなぜ注釈がないか?
注釈の必要のないくらい、
現代語に噛み砕かれてあるのです。
源氏物語をはじめとする古文が
読みにくいのは、
古語で綴られているからだけではなく、
主語が省略されているからなのです。
行為や言動の主体が、
慣れない者にとっては
非常にわかりにくいのです。

寂聴版は、
原文で省略されている主語、
それだけではなく、
場所、状況の詳細を、
ほぼ完全に補完し尽くしてあります。
一例として「蜻蛉」
冒頭の一文を見てみます。
「かしこには、人々、
 おはせぬを求め騒げどかひなし。
 物語の姫君の人に盗まれたらむ
 朝のやうなれば、
 くはしくも言ひつづけず。」
(原文)
「あの宇治の山荘では、翌朝、
 浮舟の君がいらっしゃらないのに
 気づき、
 女房たちが大騒ぎをして
 探しまわりましたけれど、
 今更何の甲斐もありません。
 物語の中の姫君が、
 誰かに盗まれた朝のような
 騒ぎなので、改めてくわしくも
 書きません。」
(寂聴訳)
とてもよく状況を
飲み込むことができます。

ただし、そうした訳者の創意工夫により、
失われたものもいくつかあります。

一つは物語の歯切れ良さが
鈍っているということです。
上の例でわかるように、
原文は寂聴訳の約半分の文字数です。
古語や古典に慣れ親しめば、
おそらく小気味よい調子で
読み進められるのだろうと思われます。
裏返せば寂聴版は
原文の倍の情報量ですから、
ときにまどろっこしく感じられるのも
無理のないことです。

もう一つ、これが最も大切なのですが、
源氏物語に漂う雅な情感が
薄らいでしまうことです。
どうしても説明的に
ならざるを得ない部分があり、
それによって原文の持つ貴族的な香が
損なわれがちになってしまうのです。

とはいえ、だからこそ、
源氏物語初心者の私にとっては
まさにうってつけでした。
私が理解できるくらいですから、
誰でも楽しめるはずです。

まずは物語の筋を理解しないことには、
源氏物語を味わうことはできません。
全十巻と、長大な源氏物語が
さらに引き延ばされた感がありますが、
寂聴訳を源氏物語の出発点とするのは
妥当だと思います。
源氏物語探索の旅を、
ここから始めてみませんか。

(2020.12.22)

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